TPPを考える-その2-

日本政府に、"交渉の余地は残されているか?" "交渉力はあるのか?"

1.はじめに

 TPP(環太平洋連携協定)交渉は2010年3月に9カ国で交渉が開始され(現在は11カ国[1])、今年5月までに17回の会合をかさね、今後7月、9月の2回の会合を経て10月のAPEC(アジア太平洋経済協力会議)の際に、TPP交渉の合意が宣言される予定で進んでいます。
 一方、TPPへの日本の取り組みは2010年10月の菅首相「TPPを進める」発言から2年5ヶ月後の今年3月、安倍首相の参加表明に続き、4月の米国との事前協議合意を経て、交渉参加国全ての合意をとりつけ、現在米国議会で90日間の審議中です。米国の正式な承認が決まれば7月の会合から初参加の見通しです。

 少なくない国民がTPPへの参加を不安視している中、安倍首相は「強い交渉力をもって日本の立場を主張する」と"交渉力"で国益を守ると主張しています。 政府は6月28日「農業5品目関税撤廃除外」で交渉に臨むことを発表しています。しかし、"残り2回の会合で日本の主張が通るのか"、"日本に交渉力はあるのか"等の声があがっています。"交渉の余地"、"交渉力"について考えました。

[1]9カ国は、シンガポール、ブルネイ、チリ、ニュージーランド、ベトナム、オーストラリア、ペルー、マレーシア、米国、2012年10月からカナダ、メキシコが加わり11カ国

2.TPP協議参加は「終った交渉」への参加ー三つの悪い条件

 日本の参加交渉を認めた4月20日の11カ国貿易担当相会合の共同声明は、日本の交渉参加で交渉の進展がさまたげられないよう、すでに合意された内容は無条件に受け入れ、議論を蒸し返さない、現交渉国による交渉打ち切りも拒否できない条件を付けました。しかも、TPPは「8割は合意されています」[2]といわれる状況です。
 また、TPP交渉は交渉内容を交渉関係者以外は秘匿する取り決めがあり、日本政府は正式参加予定の7月まで内容を知ることができず交渉戦術を立てることができていません。
 交渉制限、交渉する余地の少さ、交渉戦術が立てられていない、三つの悪い条件下での参加となり、残り2回の会合でどんな交渉ができるのか疑問です。私たちは実質合意文書に署名する「交渉の余地のない」、「終った交渉」への参加だと考えています。

[2]米消費者団体パブリック・シチズンの貿易担当、ロリ・ワラック弁護士の2013.6.9「しんぶん赤旗日曜版」インタビュー記事より

3.日本の"交渉力"について

 「短時間に交渉戦術を立て2回の会合でも日本に有利な交渉を進めることは可能」と考える方もおられると思います日本政府にそのような交渉をする実績と実力があるのか、TPP事前協議と今日までの日米貿易交渉から考えてみました。

3-1)TPP事前協議は米国政府の要求を一方的"丸呑み"

 安倍内閣の"交渉力"が試されたTPP参加への事前協議は、米国政府の一方的な要求を"丸呑み"する交渉力の無さをしめす結果に終りました。
1) 
安倍首相が「守るべきものは守る」と約束した米、乳製品、砂糖などの重要農産物で「聖域」確保されず
 米国との合意では2月の日米首脳会談を再確認しただけで関税の「聖域」確保などされていません。オーストラリアやニュージーランドは全品目の「高い自由化の実現」を参加の条件として念押ししており、TPP交渉冒頭から農林水産物の関税全廃を迫ってくることが懸念されます。

2) 米国の高い「入場料」要求を受け入れる

 TPP交渉に新たに参加するには、現交渉国すべての同意を得る"ルール"があります。オバマ政権はこれを最大限利用して、牛肉・自動車・保険の3分野の解決なしには、TPP参加に同意しない姿勢で迫ってきました。安倍政権はTPP参加を最優先してそれらを交渉することなく簡単に受け入れました。[3]

3) TPP交渉とは別に一方的2国間協議の屈辱的約束をする

 TPP交渉と並行して、自動車分野をはじめ保険、投資、知的財産権、規格・基準、政府調達、競争政策、衛生植物検疫などの非関税措置について日米二国間協議を行い、TPP交渉の妥結までにまとめると約束しました。一方的な二国間協議を受け入れる屈辱的姿勢と合意内容の詳細で重大な内容を国民に知らせない秘密主義的姿勢をしめしたのです。

[3]米国産牛肉のBSE(牛海綿状脳症)輸入規制は国民の強い懸念を無視して2月から緩和し、さらに緩めようとしています。米保険会社の営業利益に配慮したかんぽ生命の新規商品の販売中止や、米国車の簡易輸入手続き台数の大幅増なども日本側から一方的に持ち出した形にして認めてしまいました。
 さらに今回の「合意」では、アメリカが日本製自動車にかける関税を長期にわたって維持することも受け入れました。日本政府や財界は、米韓FTA(自由貿易協定)で関税が撤廃される韓国車に対抗するためにも日本車にかかる関税を撤廃する必要があるとしてTPP参加を訴えてきましたが、その最大のメリットと宣伝してきたことさえ投げ捨てたのです

3-2)戦後の日米貿易交渉の歴史から見えてきたもの−常に米国が要求、日本が譲歩する従属外交

 戦後の日米貿易交渉は米国の要求内容の変遷から大きく3つの時期に分かれると考えています。この3つの時期も"丸呑み"交渉に終始していました。
1)第一の時期:1950年から70年代−個別分野の貿易摩擦
 1950年の初め日本から米国に大量の安い繊維製品が輸出され始め、米国政府は1955年日本政府に対して繊維の輸出規制を求めたのが日米貿易交渉の発端です。その後1960年代は鉄鋼の輸出規制を求めてきました。
 これにたいして日本政府は自主的輸出規制で米国の要求を受け入れ、米国が要求し、日本が譲歩する従属的貿易交渉が始まったのです。
 米国の繊維、鉄鋼は輸出産業でなく国内向け産業で米国政府の日本への要求は米国国内の自国産業の売上を保護する、国内保護貿易を守る性格の措置措置だったので、今日とは違って日本の構造改革を問題とする段階ではありませんでした。

2)第二の時期:1980年代−米国多国籍企業との貿易摩擦から日本市場参入を目的とした「構造協議」のはじまり

 日米貿易摩擦は1980年代になると激しさを増し、自動車、半導体にしめされる米国多国籍企業[4]の利益を脅かす新たな段階となりました。ここでも米国政府の要求に対して、自動車の自主的輸出規制、「日米半導体協定」の締結など、日本が譲歩といったパターンで落ち着いたのです。
 しかし、日本の産業界は米国政府が対日貿易赤字解消を求めてきたことに対応するため、1950年代とは違って米国での現地生産化・多国籍企業化[5]を進めました。「日本の大企業の多国籍化は、アメリカとの貿易摩擦問題が後押ししたのです。」(2013.6.5しんぶん赤旗「米国従属経済」)
 日本企業の多国籍企業化は数年後の"日米構造協議"へと続きます。
 
 1989年米国政府はスーパー301条[6]でスーパー・コンピューター、人工衛星、木材の三分野で交渉を求めてきていましたが(結果は日本の譲歩)、米国はこの時期これとは別に単なる通商要求ではなく、日本の構造改革を米国が提案・要求し、それを日本が実行するスタイルの"日米構造協議"を提案し、1989年7月のブッシュ(父)大統領と宇野首相の会談で合意したのです。
 "日米構造協議"は「米国企業が日本市場に参入するにさいして不都合な構造障壁を取り除くのが目的」[7] といわれるもので、1989年から1992年に5回の協議と4回のフォローアップ会合が開かれました。実施されたものとして、10年間で総額430兆円の公共投資、大店法の規制緩和、などがあります。

[4]多国籍企業 世界企業ともいう。今日の国際トラストおよび資本輸出(直接投資)の新しい特徴をしめすもので、本国にある本社、およびその管理・統制のもとに、世界主要地域内に配置された海外子会社・支店が全体として世界的な経営戦略にしたがって活動し、最大の利潤を獲得することを目的としている国際独占体をいう。(「社会科学総合辞典」より)
[5]現地生産化・多国籍企業化は、日本で生産して、米国に輸出している製品を米国で生産すれば、貿易収支上の対米黒字は減る(対日赤字は減る)考えで行われました。貿易摩擦の焦点の一つだった自動車産業では、ホンダが82年オハイオ州で生産開始、日産は83年テネシー州で生産開始、トヨタは84年カリフォルニア州、86年ケンタッキー州で生産開始しています。(2013.6.5しんぶん赤旗「米国従属経済」から要約)
[6]スーパー301条は、1988年施行された米国の「包括通商・競争力強化法」 の対外制裁に関する条項の一つである301条の通称です。内容としては、貿易相手国の不公正な取引慣行に対して当該国と協議することを義務づけ、問題が解決しない場合の制裁について定めた条項で1974年通商法301条の強化版です。
[7]荻原伸次郎氏著作の「日本の構造『改革』とTPP」より

3)第三の時期:1990年代から今日まで−日本を米国の一つの州にするための本格的「構造改革」

 1991年12月のソ連邦崩壊は財政赤字と貿易赤字の「双子の赤字」に苦しんでいた米国の経済政策を大きく変えるきっかけとなりました。米国政府は日本、西ドイツを含むEU諸国の台頭により米国企業が経済的に劣勢にたたされていた状況を国家的力で経済力を取り戻そうと画策しました。

 1993年に成立したクリントン政権は日本に対して、ブッシュ政権の日米構造協議を強化した日米包括経済協議を要求してきました。同協議は1994年9月に終え、両国の経済発展のために改善が必要と考える相手国の規制や制度の問題点についてまとめた文書(年次改革要望書)を毎年取り交わしました。
 年次改革要望書は2009年に誕生した鳩山内閣で廃止されるまで15年間取り交わし続けられ、それによって実施されたものとして、持株会社解禁、大店法の廃止、労働者派遣法改正(派遣業種拡大、製造派遣解禁)、郵政民営化、などがあります。
 この年次改革要望書による日米交渉は「日本側からアメリカ側への要望の一切が実現されていない」[8]といわれる一方的なものでした。これは、1950年代から続いている一方的な通商交渉から、米国の一つの州にするための本格的「日本構造改革」への変化といっても過言ではないと考えます。
[8]ウィキペディア「年次改革要望書」より

 戦後の日米貿易交渉を振り返ってみましたが、どこにも日本政府が"交渉力"を発揮した場面は無かったのが現実です。

4.おわりに

  日本政府の米国政府への交渉態度は、TPP参加協議でも、戦後から今日までの貿易摩擦交渉でも、米国政府の要求を“丸呑み”の従属交渉でした。
 私たちは日本政府の屈辱的な経済交渉姿勢は、日米安保条約第2条の「締結国は、その国際経済政策におけるくい違いを除くことに努め、また、両国間の経済的協力を促進する」という取り決めによるものと考えています。
 日本は安全保障面で従属して「基地国家」となっていると共に、経済面でも独立国として対等に交渉しているわけではありません。日本政府は軍事的にも経済的にも自主性の無い米国従属外交なのです。このような日本政府の態度がTPP交渉参加で大きく変わって、米国政府と対等に渡り合えるとは到底思えません。

 TPPは“交渉の余地も少なく”、“交渉力も無い”日本政府は合意文書に署名をするための参加に終ってしまう恐れがあります。また、TPPは「守秘合意」で交渉内容は4年間交渉関係者以外秘匿され、国民が交渉内容を知ったときには、TPPが国会で批准され、発行してしまう危険もあります。

 川崎重工で働く皆さん、川崎重工は多国籍企業です。TPPによってビジネスチャンスが増えることを期待されている方もいるかと思います。たしかに、TPPは一部の多国籍大企業の利益を優先させるため、関税をすべて撤廃します。その一方で国内の食品や薬の安全基準、労働者の雇用や健康を守る法律などの国民の命と暮らしに関するルールも「非関税障壁」として撤廃・削減の対象となります。その結果、農林漁業や地場産業、大多数の中小企業や国民は、安い製品の流入で営業や雇用が脅かされ、工場の海外移転なども進み、地域経済のいっそうの衰退は避けられません。TPPは多くの国民にとって“百害あって一利なし”です。
 私たちはこのようなTPP参加に反対ですが、賛成される方とも大いに議論をしたいと願っています。そのためにも、政府に徹底した情報公開と国民的討議の機会を求めていこうではありませんか。

(13.07.03)