労働者は機械の歯車ではない
(秒単位の休憩時間さえ惜しい資本の論理)
QC(品質管理)タイム
兵庫工場では午前10時と午後3時のチャイムがなるといっせいに労働者は作業をやめ自動販売機の前にコーヒーやジュースを買い求めて並び始める。10分間のQCタイムの始まりの合図である。
買い求めた後、思い思いの場所を確保し並んで休息をとっている。談笑は少なく黙々としている。
終了の2分前に違った音色の予鈴チャイムが鳴ると一斉に立ち上がり作業場に戻る、QCタイム終了のチャイムと同時に作業が開始される。
チャップリンのモダンタイムズの情景と重なる。
QCタイムを設けた会社の理由
終了のチャイムが鳴ってもだらだらとしていて作業に取り掛からない。
作業しないで歩き回ってる人間が多い。
工具や材料を出してもらう工具庫の前に多くの人がたむろして無駄な時間をすごしている。
このようにモラルの乱れが生産の遅れに影響しているため、モラル向上のための改善アクションとしてQCタイムが現場部門に設定された。
事務所部門についても、休憩室の利用・喫煙については原則QCタイムに行うこととし、やむを得ずその他の時間に利用する場合は、早々に切り上げ、現場に行ったら必ずこれを守るよう周知された。
会社が出したモラル向上のための改善アクションとは
1.コーヒーブレイク、喫煙はQCタイムのみ可
2.原則、トイレの使用はQCタイム中にする
3.QCタイム終了後の現場への復帰時間厳守
である。
QCタイムは休憩ではないという
QCタイムは休憩ではないのである、名前の通り品質管理のためのQCタイムでありあくまで生産に活かすための時間なのである。
労働者は目いっぱい働かされている。また、大量の仕事量があり、休日出勤も続いている。ミスしたら責任を問われる。このような緊張状態の中での集中作業は疲労が蓄積される。
しかも生理現象も我慢してこのQCタイムに馴らされていく。
まさに労働者は生産機械の一部にされている。
ゆとりの時間がなくなり人間らしい労働が阻害されているのではないか。
真のモラル向上はQCタイムから生まれない
1分1秒の時間も切り詰め、人間の生理現象まで我慢させて利潤を上げさせようとする資本の論理がむき出しである。
モラルは強制されて身につくものではない。
大量の派遣労働者が投入され、労働と賃金の格差によってモラルの原点である労働者間の協調性が分断されてきている。派遣労働者を本工化し、ゆとりある生産の中で相互に協力しあうことが技術の向上、伝承につながりモラルの向上へと発展するのではないだろうか。
(08.04.03)