ロシアのウクライナ侵略問題
「国際世論」の力を結集し平和的な手段による解決に全力をあげよう!


読者の方から投稿がありましたので紹介します。

2022年3月23日、ウクライナのゼレンスキー大統領は、オンラインにより国会で、「ウクライナの平和な場所に1000発以上のミサイルを打ち込み、数え切れないほど多くの爆弾を落としています。ロシア軍は私たちの数十もの町を破壊し、完全に焼け落ちてしまったところもあります。ロシア軍に占領された多くの町や村では、人々は亡くなった家族や友人、それに隣人を尊厳を持って埋葬することもできません。壊れた家の庭先や道路脇など、どこでも可能なところに葬るしかありません」と惨状を語り、「ウクライナへの残忍な侵略の津波を止める」ための支援を熱く訴えた。

いま、ウクライナ侵略で、生物・化学兵器や核兵器使用の現実的危険も生まれており、人類の生存さえ脅かされている。無法の限りを尽くすプーチンの侵略をただちに止めなければならない。

では、
どのようにして侵略を止めるのか? 「力の論理」か「国際世論」か、その選択が人類の未来を決めることになるのではないか。

@「力の論理」では決して止められない

あまりの無法の限りを尽くすプーチンに、何を言ってもだめだという心情になるかもしれない。しかし、これまで、力の強いものが勝つという「力の論理」にもとづき、軍事ブロックをつくり、「核抑止」論をふりまいてきたが、結果はどうだったのか。

軍事ブロックは、軍事的緊張と軍備拡大の限りのない悪循環を生み、ロシアのグルジア(現ジョージア)やクリミアなどへの侵略行為を防ぐことができなかったし、プーチンのような人間を育てただけである。また、“核を持てば「核抑止」が働いて戦争を止められる”という核兵器保有国の理屈も、プーチンの核の先制使用公言で、「核抑止」はまったく無力だったということだ。はっきりしたのは、核兵器は人間が持ってはならない「絶対悪」の兵器ということだ。

このような状況下で、NATO(北大西洋条約機構)が直接戦闘に参加するとなれば核戦争にもなりかねないし、いま行っている武器供与の増強でも、戦火の拡大や泥沼化により多大な犠牲が避けられない。軍事対軍事では、過去に戦争を止めたことはなかったし、プーチンの思うツボにはまりかねない。そして、戦争が一般に国家の合法的な権利として認められていた19世紀に、人類を後戻りさせることになる。

A「国際世論」で止めるのが一番

これについて日本共産党の志位委員長は、「何よりも重要なのは、国際世論です。つまり世界の多くの国ぐにの政府と市民社会が、『ロシアは侵略をやめろ』『国連憲章をまもれ』『国際人道法をまもれ』―この一点で声をあげ、力を合わせることこそ、侵略を止める一番の力になる」、なぜなら、プーチンが「一番恐れているのは世論の力」であり、その証拠に厳罰を持ってメディア統制をしていると説明している(3月23日の千葉市の演説会にて)。

プーチン政権は、ロシア全土で戦争反対者への弾圧を日に日に強め、デモ参加者を拘束して国民を黙らせるとともに、抗議の事実をも隠ぺいしようとしている。プーチンが恐れる「世論の力」について少し考えてみたい。

第一に、「ロシアは侵略をやめろ」「国連憲章をまもれ」「国際人道法をまもれ」という世論は、人類が第1次・2次大戦や数々の戦争・紛争で、多大な犠牲を払いながらたどり着いた平和維持や「文民の保護」のための知恵―国連憲章*1国際人道法*2等―であるとうこと。だから、世界の世論となれば偉大な「力」を発揮するということだ。

   *1:  (国連憲章)1945年10月24日発効。第1条では、加盟国に各原則に従うよう義務づけ、第2条では、「国際紛争を平和的手段」による解決、加盟国の主権の尊重、「武力による威嚇又は武力の行使」の禁止「領土保全」などを規定している。 
  *2:  (国際人道法)主要な文書として、1949年の「戦争犠牲者の保護のためのジュネーブ諸条約」と1977年に締結された二つの追加議定書がある。「文民病院はいかなる場合にも攻撃してはならない」と明記し、殺傷力の強い気化爆弾や、「ダム、堤防および原子力発電所」への攻撃も厳しく禁じている。  

第二に、戦後の国際政治は、一握りの大国が思いのまま動かせる時代は終わったということ。それは、植民地支配の崩壊という巨大な構造変化を背景に、民主主義や人権、平和を促進する力が発展し、そして、世界のすべての国々と市民社会に主役が交代したということだ。

それを雄弁に語っているのが、3月2日の国連総会で、ロシアの侵略は国連憲章違反だと断罪し、「即時、無条件撤退」を求める非難決議が加盟国7割超の141カ国の賛成で可決し、24日にも人道決議が140カ国の賛成で採択されたことだ。

第三に、今どき一国だけで国際社会を生き抜くことは難しいということ。世界の国々は、経済・文化・情報等や、海外移住・海外旅行なども含め、あらゆる分野で依存し合って成り立っている。海外の世論がロシア国内にいやが上にも流れ込み、プーチンにとってはたまらない。どんな支配者でも、内外での支持を失っては長くは支配などできないということだ。

いま大事なことは、この「世論の力」を最大限に結集し、平和的な手段で解決することに全力をあげることである。それによって侵略を止めることができれば、国連憲章にもとづく平和の国際秩序という大道が揺るぎないものとなるであろう。

その方向をすでに実践して成果を収めている地域がある。それはASEAN(東南アジア諸国連合)の取り組みで、あらゆる問題を平和的な話し合いで解決する努力を何十年も積み重ね、信頼関係ができて、いろんなもめ事が起きても絶対に戦争にならないということだ。これこそが、国際紛争を犠牲者出さずに平和を築く道ではないだろうか。

次に、
国内の「国連は無力だ」「憲法9条は役にたたない」という主張者らは、憲法9条に見識がなく、国民の命と暮らしに無頓着で、「力の論理」ではプーチンと同じ立場だということだ。

@憲法9条は、掲げるだけでなく、「世界平和の先駆けになろうという決意」を実践するもの

自民党や日本維新の会の一部の政治家は、「国連は無力だ」「憲法9条は役にたたない」「9条を持っていれば日本の平和が守れるといっていたではないか」などと嘲笑している。憲法9条について見識がないので、ポイントだけ確認する。

国連憲章は、前述したように「国際紛争を平和的手段」による解決などを定めているが、その精神に反して「集団的自衛」権(第51条)を規定している。国連憲章の精神を徹底したのが日本国憲法9条*3である。それは、「力の論理」を否定し、一切の武力行使(交戦権)を否認し、最後まで平和的な手段を追求するというものだ。

   *3:  (日本国憲法)第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
○2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
 

日本共産党は、9条に込められた二重の決意について、「日本国憲法は、朝鮮半島や中国をはじめアジア諸国への侵略への反省を原点の一つにしています。再び侵略国家にならないという決意が込められています。同時に、(9条)2項の規定は、国連憲章の原則をさらに進めて、世界平和の先駆けになろうという決意を込めたものです。」(『しんぶん赤旗』3月6日付の【ロシアのウクライナ侵略 五つの角度からみる】)と説明している。

以上のように、9条は、御札のようにご利益を期待するものではなく、どんな国の覇権主義ともたたかいながら、平和の国際秩序のために奮闘することを求めている。9条の価値や決意も知らずに嘲笑している人たちは、世界平和のために力を尽くす気など毛頭なく、これまでアメリカやロシアなどの覇権主義にまともな批判をしたことはなかったし、今回も、ウクライナ侵略を止めるために声を上げていないではないか。

A9条の嘲笑者らは、国民の命と暮らしに無頓着で、権力維持だけに執着している

安倍元首相らは、よく「国民の命と暮らしを守る」と連発するが、9条について語る志位委員長に「思考停止だ」「空想の世界だ」と盛んに罵声を浴びせている。

論理的には、戦争を放棄し平和を守るという9条を大切にすることと、「国民の命と暮らしを守る」ということとは本質的に同じなので、9条を嘲笑することは「国民の命と暮らしを守る」ことも嘲笑するということになる。実際、彼らの行動は、「命と暮らし」がもっとも犠牲になっている被爆者や基地被害者、社会的弱者たちに寄り添うこともなく、逆に、彼らと彼らに献身的に尽くしている人たちをさげすみ、うとんじている。

彼らの言う「国民」とは、どうも一部の財界や富裕層などのようである。少数者を代表する支配者は、リスペクト精神に欠けているので「世論の力」が何よりも恐く、国民・市民のためと称して、あらゆる分野で国民・市民の中に、そして外交にまで差別と分断を持ち込み、権力維持をすべてに優先するというものだ。近い将来、その実態が白日のもとにさらされることになるであろう。

B平和の危機に乗じて、本性丸出しの「敵基地攻撃能力の保有検討」や「核共有」提言まで主張している

平和をめぐる危機的な状況のときは、本性が見事に出るものだ。同じ局面に接しても、9条を大切にする人たちは「国際世論」の力の結集を呼びかけ、9条の嘲笑者らは「力の論理」をさらにヒートアップせよと主張している。この違いには、これまでどのような立場に立ち、どのような態度をとってきたかが本性として現れているのだろう。

9条の嘲笑者らが言う「敵基地攻撃能力」の保有とは、安倍元首相が言っているように“相手国をせん滅する打撃力”を持って「撃たれる前に撃つ」という戦争そのものであり、戦争放棄をうたった憲法9条に違反するとともに、国連憲章で禁じている先制攻撃と何ら変わりはない。

この「敵基地攻撃」能力の保有の検討を、岸田政権が戦後初めて政権として進めている。そして、岸田首相は、自民党大会で“憲法改正にいまこそ取り組まなければならない。そのための力を得るたたかいが参院選挙だ”と危機に乗じて憲法9条の改定に執念を燃やしている。

また、安倍元首相や自民党の一部政治家が主張し、日本維新の会が政党として「提言」した「核共有」とは、米国の核兵器を自国領土内に配備して共同運用しようというものだ。これについて志位委員長は、「まさに日本を核戦争に導く危険きわまりない『提言』だ。被爆者の強い警告*4を一顧だにせず、『提言』の提出を強行したことを強く批判したい」「世界が核による脅威に核で対抗するならば、世界の多くの国ぐにが核兵器を持つことになる。人類社会は破滅のふちに追いやられる」と厳しく批判し、「提言」の撤回を求めた。

   *4:  (日本被団協)日本維新の会の「提言」に対し、「日本国民を核戦争に導き、命を奪い国土を廃墟と化す危険な『提言』」だとして撤回を求める声明(3月2日)を出した。 

戦後、日本の平和を守るためと称して、国民の命と暮らしを犠牲に膨大な軍事費を延々とつぎ込んできた。この軍拡路線が、果たして日本とアジアなどの世界の平和に貢献したのだろうか。

その真剣な検証もなしに、「軍事対軍事」「核には核で対抗」という危険な道に引き込む動きを、自民党・公明党と日本維新の会らの補完勢力で、戦前の大政翼賛会のような「翼賛体制」づくりと一体となって進めている。彼らが目指していることは、プーチンが実際にやっていることそのものであり、その道がどれだけ悲惨なことになるかは結果で示されているではないか。


“二度と戦争をしてはならない”という父母たちの願いを受け継ぎ、そして、次の世代に平和のバトンを渡すために、「再び侵略国家にならない」「世界平和の先駆けになろう」という9条の決意の実践が、いまこそ大事なときはない。参議院選挙はまさに平和がかかった選挙であり、3分の2の議席を狙う改憲勢力に痛打を浴びせ、9条を生かす政治の実現のために奮闘したい。

(K.T 記)


(22.03.30)