ロシアのウクライナ侵略問題で、「軍事対軍事」の「力の論理」者の大合唱は、「何か」におびえたものではなかろうか?
読者の方から投稿がありましたので紹介します。
2022年2月のロシアのウクライナ侵略を契機にして、自民党・公明党、維新の会などが我も我もと、「日米同盟の抑止力強化」「敵基地攻撃」「軍事費2倍化」「9条を変えろ」など、「力の論理」の大合唱を開始した。それに日本共産党攻撃と大手メディアの加勢で、参議院選挙の選挙戦とともに、さながら戦前の大政翼賛会*1が復活したかのような異様な状況となった。
*1: | アジア太平洋戦争が始まる前年の1940年、自民党の前身の政友会や民政党などの各党が「政党返上論」を唱え、相次いで自ら解散して、侵略戦争の推進協力組織としてつくった政治結社。 |
裏を返せば、「力の論理」者があれだけ必死に大合唱をせざるを得なかったのは、「何か」をもみ消そうとしたもので、その「何か」の本質に無意識におびえたのではないだろうか。その「何か」とは何か、そして、それは労働者・国民に何を提示しているのかについて考えてみたい。
まずは、「力の論理」者がこぞって主張したことから特徴的なものをあげてみる。
「ウクライナはNATOに入っていたら安全だった」
「今日のウクライナは明日の東アジアかもしれない」
「地域の安全保障環境が一層厳しさを増している」
「日米同盟の抑止力、対処力を一層強化して、国民の命や暮らしをしっかり守っていく」
「敵基地攻撃能力について独自の打撃力を持つべきだ」
「防衛費をGDPの2%を念頭に増額し、来年度予算では、少なくとも6兆円程度を確保すべきだ」
「自衛隊を憲法に明記するため参院選で勝たなければならない」
「価値観を共有するG7(主要7カ国)主導の秩序を回復する」
「日本とアメリカで核兵器を共有する」
「原子力潜水艦を保有すべきだ」
「(共産党は)安全保障環境が大きく変化しているのに、極めて鈍感だ」
「(共産党の自衛隊政策は)究極のご都合主義」等々
上記の主張は、ロシアの蛮行に乗じ、メディアを動員した大キャンペーンだったので、何となくそうなのかと流されてしまうかもしれない。
しかし、よくよく冷静に考えてみれば、そこには「力の論理」者の特有の強迫観念や高圧的で排他的思考が色濃く滲んでおり、庶民感覚ではとても受け入れがたいものだ。そして、人類が勝ち取った知恵にもとづき、世界に働きかけ合意を形成するという思考がまったく欠落していることがわかる。
それでは、「力の論理」者が主張した論とおびえたものは何かについて、整理してみよう。
第一は、「力にたいしては力=軍事同盟で対抗する」「軍事対軍事」という論だ。
これは、相手の攻撃を「パワー差」を持って「抑止」するというのを軸としている。
これまでの歴史を見れば、ロシアのグルジア(現ジョージア)やクリミアなどへの侵略が示すように、軍事力や軍事同盟で侵略行為を防ぐことができなかったし、ウクライナにように、始まった戦争を「軍事対軍事」では戦争を止めることなども決してできないし、戦火の拡大や泥沼化により多大な犠牲を生むだけだ。
そもそも、軍事同盟とは、日米安保条約も同じであるが、同盟国が起こした戦争に協力せざるを得ないものであり、相手からは同じ敵国になるということで、「抑止」どころか戦争に引きずり込まれる本質的な危険を持っている。
そして、軍事力が最強とする“核を持てば「核抑止」が働いて戦争を止められる” という核兵器保有国の理屈も、プーチンの核の先制使用公言で、「核抑止」はまったく無力だったということだ。
はっきりしたのは、「軍事対軍事」は、世界と地域を分断し、新たな軍事的緊張と軍備拡大の危険な悪循環をつくりだし、それは戦争への道にほかならないということであり、核兵器は人間が持ってはならない「絶対悪」の兵器ということだ。
今日までの歴史は、そのことをまざまざと訴えており、この歴史の教訓を自覚した人たちが世界中で声をあげ、多彩な運動を展開しつつ、大きな流れをつくりだしている。地鳴りのように迫る歴史の変動に、「力の論理」者は、無意識のうちにおびえ叫んだのではないだろうか。
第二は、「国民の命と暮らしを守るのは軍事力」という論だ。
この根底には、他国が攻めてくるという強迫観念と軍事力誇示の衝動がある。
いまの日本の現実を見れば、コロナ感染で毎日200人以上(8月の1日平均230人、8/27時点)の命が失われており、また、全国いたるところで豪雨・台風災害が発生し国民の暮らしが破壊されている。あたかも戦時中かのように国民の命と暮らしが奪われている中で、軍事力の無力さを痛感させられる。
しかし、軍事力一辺倒の論者には、日本の現実が人力ではどうにもならない自然災害と映っているようだ。実際は、長年にわたる膨大な軍事費(21年度はGDP比1.1%超)のために国民の命と暮らしを守る予算が圧縮され、日本社会がもろく弱くなった結果であるが、彼らにはその自覚が微塵も感じられない。
本当に「国民の命と暮らしを守るのは軍事力だ」と言うなら、それを具体的に証明してほしい。そして、これまで膨大な軍事費をつぎ込んできたのに、なぜ安全にならずに、逆に「地域の安全保障環境が一層厳しさを増している」のかをきちんと検証すべきだ。それまでは、国民の命と暮らしを軍事力増強の口実に使わないでほしい。
また、彼らは、「万が一、攻められたらどうする」とよく言う。「軍事対軍事」の思考が近隣諸国に脅威を与え、自ら軍事的緊張をつくりだしているという自覚もまったくない。あげくの果ては、「相手国をせん滅する打撃力を持って撃たれる前に撃つ」と本音を丸出しにしている。ここには、攻められるという強迫観念と、その表裏一体の巨大な軍事力を誇示してみたいという衝動が透けて見えるようだ。
政治の役割で重要なことは、近隣諸国といろんなもめ事が起きても絶対に戦争にならない平和の国際秩序をつくることである。ASEAN(東南アジア諸国連合)は、「対抗でなく対話と協力の地域」にするために、あらゆる問題を平和的な話し合いで解決する努力を粘り強く追求し成果をあげている。
いま日本に強く求められているのは、ASEANの国ぐにと手を携えて、東アジアを戦争の心配のない平和の地域にしていくために、憲法9条を生かした平和外交で、リーダシップを大いに発揮することである。
ここで軍事力の自衛隊について少し触れておこう。陸上自衛官の最高位にいた湯浅陸上幕僚長(当時)は、自衛隊元幹部らの親睦団体(2019年10月)と東京都防衛協会(2020年1月)とで、反戦デモをテロと同列視し、「反戦気運などを高めて国家崩壊へ向かわせてしまう危険性がある」と敵視講演をした。
これは、国民が戦争反対の行動を取ったら敵視するというもので、憲法19条の思想・良心の自由の明確な侵害だ。グレーゾーン事態や有事の際、本当に自衛隊上層部は国民を守るのか疑問を感じさせられる。
こうして見ると、軍事力一辺倒の論者の本音は、米日軍需産業の要求に応え、また自衛隊上層部の意向を慮り(おもんぱかり)、実際は戦争とならない環境づくりはしたくないのだろう。それとともに、軍拡と排除の思考しかできない彼らには、その能力がないこともはっきりとした。そのことを一生懸命に覆い隠そうとして叫んだのではないだろうか。
第三は、ロシアの蛮行に対し「民主主義対専制主義のたたかい」という「価値観」で世界を分断する論だ。
これは、国連憲章や国際法に従わず、「力の論理」の究極である「先制攻撃」論と同様のものである。
米国バイデン大統領は、ロシアのウクライナ侵略に対し、「民主主義対専制主義のたたかい」(3月の一般教書演説)という世界を二分する「価値観」を押し出した。岸田首相は、「価値観を共有するG7主導の秩序の回復」をと、早速バイデン大統領にすすんで同調した。
この特有の「価値観」は、国連憲章や国際法を無視する軍事ブロック的対応=「力の論理」から生み出されたもので、世界を分断する独善的思考と言える。その究極は、国連総会で何を決めようが、「必要とならば米国は先制的に行動する」という、世界を戦火に巻き込む「先制攻撃」論である。岸田政権が戦後初めて政権として検討を進めている「敵基地攻撃」も同じものである。
ロシア・プーチン政権が最悪の「力の論理」を振りかざしてウクライナ侵略をやっているのに、同じ「力の論理」の「価値観」で対抗すれば、プーチンの国連憲章・国際法違反を免罪し助長させることになり、「軍事対軍事」の悪循環を深めるだけだ。
いま世界で重視すべきことは、戦後の植民地支配の崩壊という巨大な構造的変化を背景に、一握りの大国が思いのまま国際政治を動かせる時代は終わったということだ。それを雄弁に語っているのが、3月の国連総会で、ロシアの侵略は国連憲章違反だと断罪し、「即時、無条件撤退」を求める非難決議と人道決議が加盟国7割超の賛成で採択されたことだ。
さらに、「民主主義対専制主義」の構図を強調するバイデン政権に対し、新興国や途上国だけでなく、シンガポールやニュージーランド両首相、それに米国や欧州、アジアの識者からも批判の声が上がっている。
いま、世界の分断ではなく、国連憲章と国際法を守れという「平和の論理」の声が世界の大勢となっている。いまこそ、ロシアの侵略を止めるために「平和の論理」の一点で声を上げ、最大限に力を合わせるときだ。この方向で侵略を止めることができれば、国連憲章にもとづく平和の国際秩序の確立という大道が確かなものになるであろう。
特有の「価値観」の論者は、国際的な大道へのうねりに焦って思わず叫んだのではないだろうか。
第四は、「力の論理」者は本質的に反共主義であり、反共主義であればどんな団体、統一協会であれ政治的利用するという表ざたできない論だ。
これまで見てきたように、力の強いものが勝つという「力の論理」は支配者の論理である。彼らが一番恐れているのは支配者への批判=「世論の力」で、とくに体制を変革しようとする日本共産党や共産主義思想に対しては容赦なく攻撃する反共主義を体質としている。
問題は、この反共主義が日本社会に何をもたらしたかということだ。
戦前、日本帝国主義は、ナチス・ドイツとイタリアとで防共協定を結び、反共の名のもとに侵略戦争へと突き進んだ。反戦・平和と民主主義の旗を掲げてたたかった日本共産党に大弾圧を加え、2000万人を超えるアジア諸国民と300万人を超える日本国民の生命を奪った。
戦後も日本の支配層と社会に反共主義が根強く残った。それは、敗戦後、反ファッショ連合国の代表として日本を支配したアメリカが、日本を極東における「反共の防壁」とする方針に転換し、日本共産党への弾圧や、侵略戦争にかかわった戦犯勢力の「追放解除」を行ったことにより、政治やメディアなどの分野に戦犯勢力が居座り、支配勢力の一翼に復帰したためである。こうして、戦前からの反共主義が継続され強められた。
支配勢力は、反共主義ということで、反社会的なカルト集団である統一協会と、その表裏一体の政治団体である「国際勝共連合」*2さえも政治的利用をしてきた。
*2: | 統一協会がつくった反共と反動の最悪の尖兵組織。ホームページに「さよなら、日本共産党」と題する誹謗中傷記事を掲載し、単なる「反共」ではなく共産主義の思想そのものを抹殺しようとしている。 |
その結果は、連日報道されているように、統一協会と自民党などの癒着ぶりは、もはや統一協会と関係のない国会議員だけでは内閣を構成できない深刻なものになっている。その原点は、安倍晋三元首相の祖父・岸信介元首相から始まり、岸氏の娘の夫である安倍晋太郎氏、そして、その息子・安倍晋三元首相の3代とそれに続く派閥に癒着が引き継がれたもので病根は深い。
統一協会による霊感商法は、被害総額約1237億円、隠れた被害者が100万人超の史上最大の消費者被害を生み出した。その大きな要因は、自民党が統一協会の広告塔となってきたことである。さらに、統一協会の名称変更問題をはじめ、憲法改正や夫婦別姓などで統一協会から政治を歪められたのではないかと言われており、ことは民主主義を否定する極めて重大問題だ。
深刻さはそれだけに留まらない。政党ではできない“汚れ仕事”を勝共連合にさせるなど、日本独特の反共攻撃・反共偏見は、野党共闘や市民運動を攻撃・分断し、人間の個性の発展などを抑え込んできたために、政治だけでなく、労働界や地域・職場・学園などのあらゆる分野に、非民主主義と後進性、いびつさ、もろさ、弱さをもたらした。
例えば、
●統一協会と関わりのある安倍元首相の国葬を国会審議もなく、国民の反対の声も無視し、巨額の国費負担を政府一存で強引に決定
●憲法9条で「戦力の不保持」を定めているのに2020年の日本の軍事費は世界9位、自民党が目指すGDP2%以上となると世界3位の軍事大国となる
●沖縄県民の民意を何度も無視した辺野古米軍新基地建設を強行
●組合員数約700万人の連合(日本労働組合連合会)の会長が「労働組合である連合は共産主義とは相いれない」と野党共闘を攻撃
●コロナ感染症の拡大による医療崩壊で浮き彫りにされた医療体制の脆弱さ
●先進国の中で最下位のジェンダー・ギャップ指数(2021年は120位)や教育予算*3
●働くルール後進国*4、他国に例を見ない「派遣労働者使い捨て」
●「成長しない国」*5
など、上げればきりがないほどだ。
*3: | 公財政教育支出の対GDP比2.8% OECD諸国平均4.1% ― OECD 2021年版による。 | |
*4: | 日本は、ILO(国際労働機関)の18本の労働時間、休暇関係の条約を1本も批准していない。 | |
*5: | 安倍政権下の2013年度から2021年度間の実質GDPが0.9%しか増えてない。 |
このように日本の平和と進歩に計り知れないダメージを与えた。反共攻撃・反共偏見は、日本共産党だけを攻撃するものではなく、現状に不満を持ち社会をよくしようと思っているすべての人たちに攻撃が向けられたものだった。しかし、歴史は無駄には流れていないものだ。
これまで繰り返された改憲策動を国民が何度も阻み、そのたびに9条をはじめとする憲法を生かす政治を求める運動=革新懇*6や「9条の会」などが発展していること、野党共闘破壊の激しい攻撃のもとでも、7年間におよぶ共闘を通じて、「共産党排除」の壁を乗り越え、全国いたるところで信頼と連帯の絆が広がっていること、安保法制廃止や辺野古米軍新基地建設反対、“性暴力撲滅”を訴える「フラワーデモ」なども反共を乗り越え前進していること、そして、とくに青年層は「個」の確立や友情を大切にし、簡単には反共主義を受け入れなくなってきていることだ。
*6: | 1980年に社会党と公明党が日本共産党排除、日米安保条約肯定の「社公合意」を結んだことを契機に、国政を変える「三つの共同目標」(平和、民主主義、生活向上)を掲げて1981年に全国革新懇が結成された。 |
このように、真実を見る目を曇らせ、人間の個性の発展や労働者・国民の団結・運動を抑えてきた最後の砦である反共主義が、日本社会の中で崩れつつあることだ。支配勢力は、そのことに何よりもおびえ叫んだのではないだろうか。
最後に、最近の二つの世論調査結果を上げてみる。
一つ目は、7月31日に発表された「平和世論調査」で、戦争を回避するために最も重要と思うことに対して、「戦争放棄を掲げた日本国憲法を順守する」「平和に向けた外交に力を注ぐ」を合わせ56%、「安保条約を堅持」「軍備を大幅に増強」を合わせて23%であった。
二つ目は、安倍元首相の国葬について、毎日新聞らの8月20・21日両日の調査では、国葬に「賛成」が30%、「反対」が53%、「どちらとも言えない」が17%であった。
ここにも、憲法が定める平和や民主主義を求める声が大勢となっている。
これまで、「力の論理」者が「何に」おびえたのか、その背景に世界でも日本でも、平和や民主主義、人間の個性の発展を求める声と運動が大きな流れとなっていること、日本独特の反共主義も崩れつつあることを述べてきた。
いま、私たち労働者・国民に提示されていることは、「力の論理」者や反共主義者を政治のトップに決して据えてはならないということではないだろうか。
(K.T 記)
(22.08.28)