過労死事件で川崎重工・経営陣は、謝罪せず裁判で争う道を選択
企業は人間よりも利益を優先してはならない!


読者の方から投稿がありましたので紹介します。

2013年7月に、中国の合弁会社に単身赴任で出向した男性社員(当時35歳)が、赴任先で自殺するというたいへん痛ましい事件が発生した。

会社は、事件当初から、そして労災認定(2016年3月)後も一貫して”責任はない”という対応をとり、謝罪と話し合いを拒否した。そのため、遺族はやむを得ず2022年4月に提訴した(詳細は党委員会ホームページを参照)。

それに対し経営陣は、「自殺だったか事故だったか、そう言うことも含めまして、これから事実関係を元に裁判の中で我々は明らかにさせていただきたい」(2022年6月の株主総会での会社回答)と裁判で争う道を選択した。

過労自殺をめぐり大手企業・法人*1が相次いで謝罪・和解しているなかで、川重の対応は異常と思える。

会社発表によると、2013年〜2018年までの6年間に死亡退職者が87人、そのうち自殺者が14人とのことで、決して他人事ではない。

   *1:  最近の事例から、NHK、東芝子会社、三菱電機、トヨタ、パナソニック等。 


川重はグループミッション『世界の人々の豊かな生活と地球環境の未来に貢献する"Global Kawasaki"』の実現を宣言。

ホームページのサステナビリティに掲載された「社長メッセージ」では、『世界の人々の豊かな生活と地球環境の未来に貢献する"Global Kawasaki"』の実現は、「社会的責任の最重要事項」であり、「さまざまな社会課題を積極的に把握し、・・・課題解決に挑戦し、新たな価値を創造していきます。」「国連が定めた『持続可能な開発目標(SDGs)』*2の達成にも貢献していきます」と宣言している。抽象的なところもあるが、国際的要請に沿った内容と言える。

この宣言と謝罪を拒否し裁判で争う対応とはあまりにも落差がある。

本稿では、なぜこのような落差が起きるのか、過労死・過労自殺などの悲劇を二度と繰り返さないために何が必要なのかについて、働くものが幸せになる視点から考えてみたい。

少なくとも以下の2点が経営陣には欠落しており、抜本的な転換が必要だ。

   *2:  2015年に国連で、「ミレニアム開発目標」(極度の貧困と飢餓の撲滅などを目標に、2000年の国連ミレニアム総会で確認)の後継として採択された国際社会共通の目標。目標は17項目あり、「貧困に終止符を打ち、誰も置き去りにしないための行動計画」である。 


第一に、国際標準の「人権尊重」が、形式的な表明となっており、自社で働く労働者の人権促進の具体的内容が経営の基軸に据えられていない。業績目標と同様に位置づけるべきである。


いま世界では、国連のリーダーシップのもとに、持続可能なグローバル化を目指し、多国籍企業を含めたすべての企業に「人権尊重」*3を求める活動が幅広く前進している。企業は、「人権尊重」を表明するだけでなく、それを具体的に促進することが求められている。

では川重はどうか。ホームページを見ると、政府や日本経済団体連合会等の指導に従い、「川崎重工グループ行動規範」や「川崎重工グループ人権方針」等で人権の支持・尊重を表明し、人権研修や実態調査、「人権デューデリジェンス」*4のパイロット調査等も目標に上げている。

それ自体は問題ないが、肝心の“将来あるべき姿”を描いたビジョンや中期経営計画に、業績目標を実現する主体である労働者の人権をどう促進するのかの具体的内容がない。それから、川重の「SDGsへの取り組み」(ホームページに掲載)を見ると、17目標すべての基礎となっているたいへん重要な「目標5」の「ジェンダー平等」が欠落している。儲けにならないということか。これでは、グループミッション「世界の人々の豊かな生活…」の「世界の人々」の文言に、自社で働く労働者とその家族のことが入っているのか疑わしい。

このような形式的な対応では、必然的に業務目標達成が最優先となり、その追及が厳しくなればなるほど、労働者はそのための「使い捨て」にされてしまうことは火を見るよりも明らかではないだろうか。

実際、職場では、「世界人権宣言」*5などで謳う「人権尊重」に反することが常態化している。

例えば、法令違反(あるいはおそれのある)のサービス残業やパワハラの放置、「派遣切り」、下請単価の引き下げ、それに、なくならない死亡災害や増え続けるメンタル疾患、自殺を含む死亡退職者の高止まり、また、人間の尊厳を傷つけ生活苦を強いる低賃金や派遣雇用、女性差別等々。

川重も含め、日本の大企業全体が目先の利益追及に走り、地域経済の疲弊や少子化、「成長できない国」「危機に弱い国」「競争力の弱い国」などの大きな社会問題を生み、日本社会をひずませた。本当に「人権尊重」を貫いておれば、社会問題になるはずがないことを日本の経営陣たちは自覚すべきである。

川重は、「社長メッセージ」で「さまざまな社会課題を積極的に把握し、・・・課題解決に挑戦」と言うのであれば、法制度の確立を待つことなく、ビジョンや中期経営計画に、“労働時間の短縮”、“正社員雇用への転換”、“健康で文化的な生活を保障する賃金・労働条件”、“男女間の賃金格差撤廃”、“過労死等ゼロ”などを、他社に先駆けて入れてはどうだろうか。

そうすれば、グループミッション『世界の人々の豊かな生活…』に魂が入り、裁判で争う道など選択することはなかったであろう。

   *3:  「人類の努力の集大成」である「世界人権宣言」をベースに、「国連グローバル・コンパクト」や「持続可能な開発目標(SDGs)」、「ビジネスと人権」などを根拠としている。
「ビジネスと人権」は、多国籍企業およびその他企業の活動を規制するために、国連で「ビジネスと人権に関する指導原則」を中心内容とする条約づくりが2014年から開始され、2020年8月には、企業活動における「人権を尊重・保護・促進するための国の義務と企業の責任を効果的に実行する」ことを目的に「ビジネスと人権」(第2次案)が公表された。
 
  *4:  人権への悪影響を特定、防止、緩和するために実施される継続的なプロセス。 
  *5:  前文:国際連合の諸国民は、国連憲章において、基本的人権、人間の尊厳及び価値並びに男女の同権についての信念を再確認し、かつ、一層大きな自由の下に社会的進歩と生活水準の向上とを促進することを決意した…。第一条:すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。第三条:すべて人は、生命、自由及び身体の安全に対する権利を有する。第二十三条:勤労する者は、すべて、自己及び家族に対して人間の尊厳にふさわしい生活を保障する公正かつ有利な報酬を受け…。第二十四条:すべて人は、労働時間の合理的な制限及び定期的な有給休暇を含む休息及び余暇をもつ権利を有する 


第二に、社内規則に実効ある過労死・過労自殺の防止対策が見当たらない。過労死等の要因そのものをつくらないために、「働きすぎの抑制」と「働きやすく働きがいのある労働」を実現すべきである。

労働者が働きすぎやストレスで命を失うなどということは決してあってはならない。そのため、多くの命をあずかる企業は、正規・非正規社員の区別なく、労働者の「生命、身体等の安全を確保」することが義務付けられている。しかし、過労死大国日本と揶揄され、過労死が大きな社会問題となって久しい。

この根底には、日本独特の後進性の問題がある。国際的には、雇用契約を結べばその時間内に労働力を提供し、その後はまったく自由な時間のため企業に干渉されることはない。しかし、日本の場合、企業が労働者に生活と生涯の全体にわたっての企業奉仕を求め、前近代的な人格的依存関係を構築している。要するに、企業に労働者の全生活が買い取られているということだ。労働者のたたかいによって、その関係は弱められてはきたが、依然として根強く存在している。

全国の過労死遺族の方たちの粘り強い運動等で、ようやく、2014年11月に「過労死等防止対策推進法」が施行され、2021年7月に過労死等の防止対策を効果的に推進するための「過労死等の防止のための対策に関する大綱」が閣議決定された。

川重の対応はどうなのか。日本の法整備の遅れもあってか、厚生労働省の指針の「メンタルヘルスケア」などの対応を実施しているが、社内規則に過労死等の防止対策はどうも見当たらない。これでは業務目標達成の厳しい追及に歯止めがかからず、過労死等を防ぐことはできない。

過労死等を防止するには、その要因そのものをつくらないことが一番だ。労働者の全生活を企業に縛り付ける前近代的な人格的依存関係を一層すること課題としつつ、次の2つが不可欠となる。

一つに、「働きすぎの抑制」を実現する。

労働時間の短縮は、人間らしく生き、人間的に成長する上で一番の基礎になる問題で、過労死等の要因をつくらないだけでなく、職場や家庭、地域等での交流や活動を活発にし、職場と社会を元気にする。

まず、過労死等は企業の責任であることを明確にし、時間外労働は、本来、臨時的なものなので必要最小限にとどめ、当面、休日労働も含め、上限を月45時間、年360時間(国が定める労働省公示第154号の「時間外労度の限度基準」に倣う)を厳守とし、「36協定」は結ぶべきでない。当然、それに見合う要員計画を行う。「サービス残業」は、労働基準法違反の犯罪行為であり、職場のコンプライアンスを形骸化するので断固根絶する。

人間は労働とともに発達してきたので、夢中になって働きすぎる面をもっている。一方、管理職はその人格に関わらず業務目標達成の会社の指揮・命令者に仕立てあげられ、部下に対し本人の気持ちや事情に関係なく、結果だけを追及するようにさせられてしまう面をもっている。企業は、このような側面をよく考慮に入れ、労働者の「生命、身体等の安全を確保」するために、働きすぎ、働かせすぎを抑制する具体的方策を立て、企業の責任として実行しなければならない。

二つに、「働きやすく働きがいのある労働」を実現する。

仕事のしにくさやつらさからくるストレスは疲労感を増大させるが、働きやすく働きがいのある労働を実現すれば、仕事は楽しいものとなりモチベーションも向上する。

その働き方がILO提唱の「ディーセント・ワーク」*6(働きがいのある人間らしい仕事)である。一人ひとりの「人権尊重」をベースに、健康で文化的な生活ができる賃金・労働条件を保障し、安全で健康的に働ける快適な労働環境と自由に意見を言えて助け合える快適な人間関係が構築されれば、過労死等を生まないだけでなく、ものづくり力も増大するはずだ。


以上のように、経営陣が過労死等を防止する決意とその具体的方策をもち合わせておれば、裁判で争う道など選択することはなかったであろう。

   *6:  4つの内容―@働く機会があり、持続可能な生計に足る収入が得られること、A労働三権などの働く上での権利が確保され、職場で発言が行いやすく、それが認められること、B家庭生活と職業生活が両立でき、安全な職場環境や雇用保険、医療・年金制度などのセーフティーネットが確保され、自己の鍛錬もできること、C公正な扱い、男女平等な扱いを受けること(以上、厚労省『平成20年版 労働経済の分析』より)。Cのジェンダー平等は、@ABを貫く軸としての役割が与えられている。また、SDGs「目標8」(すべての人々のためにの持続的、包摂的かつ持続可能な経済成長、生産的な完全雇用およびディーセント・ワークを推進する)にも位置づけられている。 


過労死や過労自殺まで追い込む仕事のさせ方は世界の「人権尊重」の流れに背くものであり、ましてや、仕事で尊い命を失ったことに謝罪もせず、裁判で争うなどは人道に反する。

日本での初めての過労自殺は、1910、20年代に諏訪湖近くの製紙工場で働く女性労働者と言われており、あまりの過酷な労働から逃れようとして、次々と諏訪湖に投身自殺したということだ。

企業は、家族らの心配をも振り切って、死を選んでしまうほどのつらい仕事を決してつくっても、させてもならない。そういうことに無頓着な道を歩んできた人間を決して経営陣につけてはならないと思う。

過労死等を二度と起こさないためには、少なくとも以上に上げた二つの根本的な転換が必要であり、要するに、企業は人間よりも利益を優先してはならないということだ。

これらを経営陣に実行させるには、労働者の命と健康を守るべき労働組合の役割は決定的に重要となる。「過労死等ゼロ」を明確にしながら、職場の労働者と一体となって問題点や要求などをまとめ、粘り強く団体交渉することが必要だ。そうすれば、自由に意見を言える職場づくりや職場の連帯強化にもなるであろう。

いま国際社会では、株主至上主義や利潤第一主義の見直しが進んでおり、人類生存の持続可能性をテーマに「人権尊重」が大きな流れになっている。

グテーレス国連事務総長や国連「ビジネスと人権」作業部会は、コロナ感染症への対応や回復期においても人権を対策の中心に据えること、人権の実質的な推進が将来の危機へのより良い準備につながること、そして、回復期に向け、「より強靭で、より平等で、包摂的で、持続可能な経済社会」の構築に焦点を当てるべきと強調している

これまで述べてきたように、川重経営陣は、痛ましい過労死事件に対し、初めから“責任はない”として謝罪もせず、そこから何も学ぼうとしなかった。"Global Kawasaki"を掲げているにも関わらず、裁判で争う経営姿勢は、世界の「人権尊重」の流れに背くだけでなく、人道にも反すると言えよう。

多くの川重ファンは、「世界の人々の豊かな生活」への貢献について、「製品と技術」の分野はもちろんこと、「人権尊重」で持続可能な働き方の分野でも「新たな価値を創造」してほしいと願っているのではないだろうか。

(K.T 記)


(22.09.16)