川崎重工 賃金の「生計費原則」を否定する人事処遇制度を提案


6月25日に、橋本康彦氏の社長就任とともに「川崎重工グループの皆さんへ」と社長メッセージ*1が発信され、その直前の6月23日の労働協議会において、「一般従業員及びパートナー社員の処遇制度の見直し」が提案されました。

  *1:「マーケットイン」の発想と「スピード感」を重視し、「つぎの社会へ、信頼のこたえを」 


今回の人事処遇制度「見直し」提案は、2004年のTAR-GET *2導入以来の大幅な改正となります。これまで従業員から不満や批判が強かった58歳減額・エルダー減額やエルダー階層・パートナー社員制度については廃止するとしていますが、賃金の「生計費原則」の否定など、従業員の生活と権利にとってはもちろんのこと、他企業や国内・国際社会への影響という面でもきわめて重大な内容が含まれています。

  *2:Total and Aggressive Reformation for Gaining Excellent Tomorrow(目標の達成によってすばらしい明日を勝ち取るための総合的かつ積極的な改革)―人事処遇制度に関する構造改革。 


さっそく職場の組合員から、「家族手当は復活するのか」「LS手当は生活するうえで重要であり、無くなるのは不安」との声が上がっています。

まだ評価制度などの詳細が会社から提示されていませんが、まず従業員の現行人事処遇制度に対する評価を確認しながら、今回会社が提案した「見直し」内容の問題点や処遇制度のあるべき方向などについて、大まかに考えてみたいと思います。

現行の人事処遇制度に対する従業員の評価 ― 従業員は何を問題にしているのか

労働組合が今年の1月から2月にかけて全組合員を対象に「賃金等に関する組合アンケート」を実施しました。(回答率:全体で34.8%、うちパートナー社員は70.8%)

その結果から主な点をあげますと、一般従業員では、「賃金制度」と「給与水準」の満足度が、「やや不満と不満」を合わせどちらも49%でした。不満の項目で50%を超えているものとして、「昇進スピードが遅い」(51.6%)、「習熟加算の評価基準が解らない」(68.6%)、「人事考課の評価基準がわからない」(69.8%)というものでした。

パートナー社員からはさらに厳しい評価でした。「給与水準」の満足度が、「やや不満と不満」を合わせ90%で、その主な要因として「同等業務をやっている従業員との処遇格差」(77.9%)でした。一方、「事技職(E系列・R系列)への転換の希望」について「希望する」が40%(「希望しない」が8%)、系列転換が実現した場合に「職務領域が広がることで意欲をもって働くことができる」が83.1%とたいへん意欲を持っていることが示されていました。

一般的に、賃金制度や給与水準について、ほぼ半数の人から不満を抱かれるようでは、人事処遇制度として成り立ちませんし、ましてや9割の人が不満を持つような制度は失格と言えます。

提案内容は従業員の不満や批判の一部をくみ上げているが、きわめて重大な内容が盛り込まれている

会社が提案した「見直し」について、どのような問題意識と目的のもとに、どのように改正しようとしているのかを【別紙】にまとめました。

今回の「見直し」提案は、冒頭に述べたように58歳減額・エルダー減額やエルダー階層・パートナー社員制度の廃止など、従業員の不満や批判をくみ上げた形になっていますが、それ自体も手放しでは喜べないものとなっています。これらも含めて、きわめて重大であると思われる内容について述べたいと思います。

賃金の「生計費原則」の否定は日本国憲法・労働基準法・国際基準に反するのではないか

2003年までは、年齢や家族構成などを考慮した本給・本給昇給・家族手当があり、年々給料が上がるので将来に対しある程度安心感がありました(定期昇給が平均で約5千円/年)。TAR-GETの導入により、それらが廃止されてしまいましたが、「ライフステージに応じた生計費をサポートする」ということでLS手当が新設されました。

今回、「現在のLS手当は、生計費見合いとして年齢に応じた定額を支給しているが、職務や能力に関係なく賃金が上下する」との理由で、そのLS手当までも廃止するとしています。要は、“結婚しようが、子供ができようが、子供が大学に行こうが関係なく、「能力と役割」で給料を決めます”というものです。果たしてこのような考え方は、憲法や国際基準などに照らして合理性があるのでしょうか。

憲法第25条では、「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と定め、労働基準法第1条では「労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない」と規定しています。

また、国際的な最低の労働基準を定めているILO(国際労働機関)では、最低生活の水準として、「生計費」あるいは「労働者とその家族の必要」、「労働者の家庭生活に不可欠な需要」で決めると定めています。さらに、ILOは、世界中に広がっている貧困と格差の是正のために、「ディーセント・ワーク」(働きがいのある人間らしい仕事)を提唱しています。厚生労働省がその呼びかけに応じて、2008年版の『労働経済白書』で「ディーセント・ワーク」の内容を次のように紹介しています。

  @働く機会があり、持続可能な生計に足る収入が得られること
A労働三権などの働く上での権利が確保され、職場で発言が行いやすく、それが認められること
B家庭生活と職業生活が両立でき、安全な職場環境や雇用保険、医療・年金制度などのセーフティーネットが確保され、自己の鍛錬もできること
C公正な扱い、男女平等な扱いを受けること
 


川崎重工は、『コンプライアンスガイドブック』で「企業も人も、社会の一員として存在」していると述べています。そうであれば、憲法や国際基準をもっとも大切にしなければなりません。それに反するような人事処遇制度をリーディングカンパニーと呼ばれる川崎重工が策定したとなれば、他企業や国内だけでなく、国際社会に対してもきわめて否定的な影響を与え、社会的・国際的信用を失墜させかねません。

自立して「人間らしい最低限」の暮らしができる賃金なのか

日本は、世界で当たり前の全国一律最低賃金がなく、最低賃金の水準も先進国で最低*3という異常さです。

  *3:2017年1月段階の金額(購買力平価)で、日本848円、米国のカリフォルニア州・ニューヨーク州1,525円、フランス1,326円、アイルランド1,257円、ドイツ1,201円、イギリス1,103円。 


そのため、全国一律最低賃金制度の確立や最低賃金引き上げを求める声は、日本共産党や野党だけでなく、知事会や自民党議員にも広がり、連合の神津会長は7月1日の臨時全国最低賃金対策会議で、「最賃引き上げの流れを止めることは許されない」と述べるなど、今やコロナ禍の中で大きな流れとなっています。

全国労働組合総連合(全労連)などが実施している「最低生計費試算調査」(昨年発表)によれば、若者が自立して人間らしく暮らすには、全国どこでも月額22〜25万円(時給1,500円程度)が必要とあります。

川崎重工の企業内最低賃金(満18歳ポイントで)は、今年度は168,000円(昨年度から3,760円アップ)で、時給に換算すれば1,050円程度です。そして、「見直し」提案のA1とG1系列の職能給基本額は170,000円となっています。基準賃金としては、習熟加算も入りますが、それでも時給1,500円には届きません。

会社は、「従業員の成長意欲・達成意欲を図る」と言っていますが、その前提として、一人ひとりの経済的自立があってこそ主体的に仕事にも打ち込めるのであって、そのことを真剣に考えているのでしょうか。連合会長が言うように、大企業が「最賃引き上げの流れを止めることは許されない」と思います。

従業員を「人財」と表現すると言いながら、「コスト」にしていないか

会社は、『行動規範』の中で「従業員は最も重要な財産であると考え、『人財』と表現しています」と宣言しています。しかし、次の「企業内最低賃金や『見直し』提案のA1・G1系列の職能給基本額の低額設定」、「毎年賃上げを渋る理由としての『固定費の増加』」、「TAR-GET導入の時と同様に、今回も経営が厳しいということで総労務費の圧縮のために持ち出す人件費削減」などの施策を見れば、経営陣は従業員を「人財」ではなく「コスト」として扱っているのではないでしょうか。

以下の表は、TAR-GETが導入されてからの平均基準賃金、内部留保(連結)、配当金の推移を示したもので、ここに「コスト」という考えが如実に表れていると思います。


2004年にTAR-GETが導入されてから2010年までの7年間で、平均基準賃金が月額3.4万円もダウンし、この分だけで一人当たり約143万円の減収となりました。さらに、基準賃金が下がれば、残業代や一時金も目減りしますので、その分も加味すると合計で約221万円(1年当たり約32万円)*4も失ったことになります。会社としては、ものをつくらずに処遇制度の変更だけで、単体として241億円(1年当たり約34億円)削減*5できたことになります。

  *4:7年間の平均残業時間は24.9H、一時金は平均4.67カ月分で計算。
*5:7年間の単体の平均従業員数は10,940人で計算。
 


2010年以降の平均基準賃金の推移を見れば、徐々に上昇はしていますが2003年の32.7万円までには回復していません。ここに組合の「アンケート」結果で示された従業員の不満の大きな要因があると思います。また、徐々に上昇している平均基準賃金の対策として、今回の処遇制度の見直しを提案したのではないかと推察されます。

ILOは、2007年の総会で「持続可能な企業」という問題を提起しました。持続可能とするには、「普遍的な人権と国際労働基準の尊重」などの配慮が必要という提起です。その根底にある考え方は、「@労働者はコストではない。労働者は財産である、A技能を身につけた熟練労働者は、企業の競争力の源泉である、Bしたがって、人員削減や賃金カットは万策尽きたあとの最後の手段とすべきである」というものです。経営陣は、会社を「持続可能な企業」とするために、この問題をよく考えてほしいと思います。

国際的な「ジェンダー平等」の大きな流れに取り残されていないか

組合の「アンケート」結果によれば、パートナー社員の9割の方が「給与水準」に不満を持っていました。今回の「見直し」提案では、パートナー社員全員をA1系列としており、給与水準の低い待遇は変わりません。現在、パートナー社員のほとんどが女性であり、A系列は「ジェンダー平等」に反して女性を対象にした制度のように思われます。

会社は、パートナー社員について、「難易度の高い業務に挑戦したいという意欲のある従業員は一定数存在するものの、事技職への転換者は少数となっている」と説明していますが、組合の「アンケート」結果とは逆になっています。会社の調査もパートナー社員の思いを反映しているとすれば、パートナー社員制度という扱いが意欲をなくさせているのだと思います。

川崎重工のHPのCSRに掲載された『社長メッセージ』では、「国連が定めた『持続可能な開発目標(SDGs)』の達成」「人権への配慮、多様な従業員の活用と育成、ワークライフバランスの向上、社会貢献活動などの取り組みを一層強化」していくと述べています。

外向けと内向けの説明では随分と違っているように見えます。SDGsの「目標5」には「ジェンダーの平等を達成」という課題が入っており、国際的な流れに反しているように思えます。「ジェンダー平等」を徹底してこそ、従業員一人ひとりが自分らしく尊厳をもって生き、輝き、自らの力を存分に発揮できるのだと思います。

また、そもそも業種で処遇を分ける必要があるのでしょうか。事務職も生産職も、どの業種も会社にとってなくてはならないものです。このような処遇制度では、従業員の分断を図るだけで企業にとって得るところがないと考えられますので、根本的に検討してほしいと思います。

習熟加算累積額80%圧縮やその他気になること

会社は、習熟加算累積額の圧縮について、15年昇進しなかったら毎年、習熟加算累積額に80%を掛けて圧縮すると提案しています。しかも、滞留年数の扱いについては、本制度施行前にさかのぼると言っています。これでは58歳以降の減額をしないと言いながら、58歳以前にも減額になる人が多く出るのではないでしょうか。また、15年という年数も、運用の中で縮められないという保障もありません。

制度移行時の取り扱いでは、「全体の原資から組み替える」としています。そして、組替時調整給の解消は、TAR-GETの時は50歳以下で5年目であったのが、今回は3年目となっています。R系列においては移行の年だけです。これでは基準賃金が大幅に減額される人が多数でるのではないかと心配されます。

X系列からA系列への系列転換について、「V系列の従業員が希望し、会社が認めた場合はA系列に転換する」となっていますが、会社から転換を迫られれば「希望」と言わざるを得ない状況に追い込まれるのではないかと懸念されます。運用にあたっては、労働組合の厳しいチェックが必要です。

人事考課制度については、一般従業員・パートナー社員とも約7割の方から「評価基準がわからない」と不満が出ています。制度の詳細は不明ですが、「格付けを所属長の絶対評価とする、自己評価・フィードバックを実施する等の見直しを行う」とあります。果たして絶対評価は可能なのか難しい問題です。人事評価にあたっては、「透明、公正、納得性」が重要であり、そのためには「査定項目と査定方法」について、労使で厳格に交渉し、明瞭なルールとして規定することが大切だと思います。

社長メッセージでは、「頑張る人を人事面でも、報酬面でも評価し、応援できるようにします」と表明しています。ある面でもっともなことだと思いますが、「従業員の成長意欲・達成意欲を図る」というように、会社の文面には全体として、従業員が「頑張っていない」ような受け止めを感じます。無理な頑張りを求めれば、「多様な価値観を受け入れ統合する」(Vに込めたイメージ)面とか、「チームで連携する」(Aに込めたイメージ)面などが阻害されるのではないかと懸念されます。

労働組合の対応の問題ですが、TAR-GET提案の時は「軽々に結論を出せる内容でない」とたいへん慎重な態度でしたが、今回は「大きな方向性は同じ認識」(労組臨時大会での委員長あいさつ)と述べています。職場集会を何度でも開き、職場の不安や疑問を徹底的に汲み尽くしてほしいと思います。

国際標準に立ってディーセント・ワークを実現する人事処遇制度を

私たちのHPに掲載した「2010年代の『川崎重工の経営計画』分析」で明らかにしたことですが、今日、世界にまん延している「新自由主義」*6のもとで、投資家が「投資収益の最大化」のために、企業に対し、儲けない事業の解体・リストラと、そのための「従来の雇用システムの解体」、すなわち、終身雇用型から市場動向に合わせた労働移動型(必要な時に雇い、必要でなくなると雇用を終了)への転換を求めています。今回の処遇制度の「見直し」提案は、この流れに沿ったものではないかと考えられます。

  *6:すべてを市場原理にまかせ、資本の利潤の最大化を主張。 


コロナ禍は、ワクチンができるまでかなり長期になるだろうし、その後も新しい感染症への対応は避けられないと言われています。いま経営陣には、感染症に強い企業をつくりあげていくことが求められていると思います。今回の「見直し」提案の内容では、企業が疲弊していくのではないかと危うさを感じます。

これまで、経営が厳しくなると人件費の削減で乗り切ろうとする安易な経営姿勢が見られました。この姿勢を大転換する「自覚と覚悟」こそが、経営陣に求められているのではないでしょうか。

私たちは、「働く人々の尊厳が大切にされ、能力が十分に発揮できる職場」を目指し、『私たちの職場綱領』を提案しました。そこで述べているように、働き方や人事処遇制度などのあらゆる問題を、日本国憲法と国際標準の立場に立って考えてみることが大事だと考えています。コロナ禍の中で、職場のみんなが支え合い連帯を大切にする企業風土を重視し、「ディーセント・ワーク」(働きがいのある人間らしい仕事)を実現できる人事処遇制度を、ぜひつくりあげてほしいと思います。

みなさん、一緒に考え職場で議論してみましょう。みなさんからのご意見・感想は大歓迎です。

 

(20.08.03)